白老酒季126号
□薫風 〜社長便り〜
□HIDE AWAY 〜酒蔵お婿さん通信〜
□会長だより
復興への努力 品質改良其の1 交詢社
Vol.51「新年あけましておめでとうございます」
皆様、新年あけましておめでとうございます。
旧年中は格別のご愛顧を賜り、心より御礼申し上げます。
2026年も、こうして皆様に新年のご挨拶ができることを、大変ありがたく感じております。
年明けの蔵は、凛とした空気に包まれながら、新酒造りの真っ只中です。 この地の水、米、そして人の手に支えられ、今年もまた酒を醸せていることに、あらためて感謝の気持ちが湧いてきます。
さて、近年「酒蔵ツーリズム」という言葉を耳にする機会が増えてきました。
お酒を“飲む”だけでなく、造られる場所を訪れ、人や風土、文化に触れる――。
澤田酒造でも、蔵見学や体験を通して、日本酒の背景にある物語をお伝えする機会が少しずつ広がっています。
別コーナーでもご紹介しておりますが、国内外の方に日本酒や常滑を知っていただけることは、私たちにとって大きな喜びであり、酒蔵をひらくことは学び直しの時間でもあります。
さて、新年の新酒のご案内です。年末に搾れた「あばれ酵母」、「若水 純米吟醸 無濾過生原酒」、そして毎年ご好評をいただいている「純米吟醸 今朝しぼり うすにごり生酒」のご予約を承ります。
いずれも、この季節ならではの瑞々しい味わいをお楽しみいただけるお酒です。
また、お燗でも美味しい「春うらら」もぜひお試しください。
2月には、恒例の酒蔵開放を開催いたします。
今年は原料米の状況を踏まえ、内容を一部見直しつつも、当日は純米酒の槽口酒をご用意し、蔵元ならではのフレッシュで奥行きのある味わいをお楽しみいただけるよう準備を進めております。
また、より良い催しを継続していくため、チケットの交換枚数につきましては一部調整をさせていただきます。
これからも皆さまにご満足いただける酒蔵開放をお届けできるよう努めてまいりますので、どうぞご理解賜りますようお願いいたします。
蔵の空気や音、香りも含めて、白老を感じていただける二日間になれば嬉しく思います。
少し先のお話になりますが、2026年は私たちにとって節目の年でもあります。
5月30日・31日には、酒蔵での講演会イベント、そして甑(こしき)のタガを取り替える節目の作業を、皆様と共有する企画を予定しております。
酒造りの現場で受け継がれてきた技と想いを、次へとつないでいく年にしたいと考えています。
2026年の抱負として――
酒造りがこの地でできることへの感謝を胸に、できうる限りの力と心を注ぎ込んだ一年にします。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2026年1月吉日
澤田酒造株式会社 澤田 薫


Vol.70「小学校・中学校の同窓会で」
50歳になりました。
45歳を過ぎた頃から、これまでの人生の答え合わせのような出来事が続いています。
音楽ジャーナリストや構成作家、20歳の頃から敬愛してきたバンドのメンバーなど、想像もしていなかった方々との出会いがあり、大きな刺激を受けてきました。
けど、それらに決して負けないほど心を揺さぶられた出来事がありました。
それは今年11月初旬に参加した、小学校・中学校の同窓会です。
私が進学した高校は、同じ中学校から私しか選択せず、同級生との関係は自然と途切れていきました。
多感な12歳でロックの洗礼を受け、硬派な音楽に憧れ、天邪鬼な性格も相まって、今思えばかなり協調性に欠けた、扱いづらい奴だったと思います。
そんな中学生時代の記憶が恥ずかしく35年ぶりに再会する50人近くの同級生たちが集まる会に、自分で申し込んだにもかかわらず、自意識過剰が増大して会場に入る直前まで本気で引き返そうとしていました。
意を決して、会場に入ると、年を重ねながらも面影の残る顔が並び、入ってすぐ保育園からの同級生に「もしかして、ひでぼん?」と声をかけられた瞬間、胸の奥に溜まっていたしこりのようなものが、すっと溶けていきました。
懐かしい再会が続き、近況を語り合う中で、バブル崩壊、阪神・淡路大震災、就職氷河期“失われた世代”と呼ばれた 私たちが、それぞれ必死に生きてきたことが伝わってきました。
お酒で少し気持ちが軽くなった頃、思い切って伝えました。
「中学の時、感じ悪くて、嫌なこと言ったり、したりして、ホンマにごめんな」と。
返ってきたのは、「そうやった? そんなんもう忘れたわ。必死に藻掻いてたんやろ。あの頃の一緒に遊んだおもろかったことしか覚えてへんわ。」という言葉でした。そう言って、もう一度、乾杯したのです。
その瞬間、涙が止まらなくなりました。そして、あの時のお酒が驚くほどおいしかったことを、今でもはっきり覚えています。
過去の選択は変えられません。逃げてきたように見える人生も、その時その時で必死に選んだ結果だったのだと、ようやく受け入れられました。反省を胸に行動すれば、未来は少しずつ修正できるのだとも学びました。
あの日を境に、悪い記憶は薄れ、良い思い出だけが残りました。
50年会のみんな、本当にありがとう。みんなに負けないよう、これからも頑張ります。
良い場所で盃を交わせることは、本当にいい。
そしてやっぱり、姫路が好きやな。
その五十二
明治時代の知多酒15 「復興への努力 品質改良其の1 交詢社」
名古屋大会以後、業界一致して増税案に対抗するべく幾度も会議が行われたものの、明治31年には一石当たり12円の増税案が決定、日清戦争後の反動的不況もあり全国的に多数の倒産廃業者が続出します。
その後明治38年4月の日露戦争による非常特別税、翌38年増税、更に41年と増税は続き、知多の醸造業者も惨憺たるありさまでした。
一方、「愛知縣特殊産業の由来」(下巻9ページ)に、知多酒の多くは「醸造法は幼稚であって品質劣り、且つ保存性の乏しきの故を以て、往々にして腐敗酒を出したものである」とあり、灘酒に市場を蚕食されているなかで、早急に品質を向上させねばならない状況にありました。
明治16年亀崎において知多碧海交詢支社の発会式が行われ、本社から工部大技師宇都宮三郎が臨席、客員として参加した者の大部分は酒造家であったから、氏は築竈の改良について講演し、最後に酒造も理化学の原理に拠るべきであることを解き、東大教師のアトキンソンが著した『日本醸酒編』を寄贈した。
大いに感銘を受けた伊藤七郎衛は、伊東孫左衛門、伊東信蔵、新美昇平、伊東順三郎、天埜伊左衛門らと合名し、同年9月に錬業会を創立した。
明治21年から25年まで農商務省の技師の派出を要請し、数百石規模の試験醸造を行っている。
さらにこれとは別に七郎衛は自宅に猿若分析所を設けて研究を続け、宇都宮自身も退官後指導に当たったが25年「従来の酛に醪を代用して清酒もしくは濁酒を製造する方法に成功、特許を得、この普及のために 交詢社から『醸造新法』を出版した。(続く)
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