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白老酒季117号

□薫風 〜社長便り〜
□HIDE AWAY 〜酒蔵お婿さん通信〜
□会長だより
「明治時代の知多酒6「同盟休醸」のこと


 

 

 

 

 

Vol.42「第35回 酒蔵開放開催のお礼」 

 

今年は随分駆け足で春が来ていると思えば、またどこかへいってしまったように寒さが戻り心身の健康を保つのが難しいですね。
とはいえ、酒蔵開放を過ぎると私もようやく春の訪れを愛でる余裕がでて、酒蔵の庭に咲く遅咲きの梅のほころびを嬉しく眺めています。

さて、先月には、「新酒を楽しむ会」と「第35回酒蔵開放」を無事に開催することができました。
来場いただきました皆様、先行販売などを利用いただいた皆様にはあらためまして御礼申し上げます。

今年は日曜日が雨予報(ここ10年の中でも久しぶりの雨でした)だったこともあり、土曜日が大変な混雑となってしまいました。
何分狭い酒蔵ですので、お客様にはご不便をかけてしまいまして、申し訳ございませんでした。

今年はバスのサイズを拡大したり、酒粕詰め放題などの新しい企画を設けたり、新しい出店者さんを加えたりして、お客様にさらに楽しんでいただきたいと思って準備をして参りましたが、自然相手のことは如何ともしがたく、運営の難しさを痛感いたしました。
とはいえ、今年も「楽しかった」とたくさんのお客様に喜んでいただけたことは励みになっております。

混雑や不手際も多々あったかと思いますがそれらの点はしっかりと反省して、次年度以降に改善していけるよう努力いたします。
来年以降も酒蔵開放を続けていけるよう、ぜひ応援のほどお願い申し上げます。

今号では、続々と登場する春のおすすめの新酒などをご紹介します。
今年も、地元産酒米「夢吟香」の純米吟醸生酒や、広島県産の「千本錦」純米吟醸の生酒、自然栽培米の酒などがとても美味しく出来上がりました。
価値が見直される発酵食品の「酒粕」もまだまだございます。
ぜひ健康増進にお役立てください。

そして、少し早めの告知ですが、おうちで仕込む白老梅も予約がスタートいたします。
初めての方も、毎年恒例の方も、ぜひお申し込みくださいませ。

おかげさまで酒造りも最後の搾りを終えて、いよいよ火入れなどを残すのみです。
今年は昨年夏の猛暑の影響によりお米の溶けが悪く、全体的にスッキリした仕上がりです。
その分酒粕がたくさんできております(涙)。
従来の白老ファンには物足りないでしょうか?!
ぜひご意見お聞かせください。 

最後になりますが、中面にも記載の通り、現在酒蔵の直営店舗を仮設場所で営業中です。
4月下旬を目標に、蔵元直営店の改修工事をおこなっています。
リニューアル後には、酒蔵での試飲体験などを充実させ、水汲み施設もできあがる予定です。
ぜひ楽しみにしていてください。

また、直営店の営業を安定させるため、毎年9月に開催の秋の蔵まつりは当面お休みをいたします。
どうぞご理解いただけますと幸いです。


澤田酒造株式会社 澤田 薫

 

 


 

Vol.61

 

「よその子とゴーヤは育つのが早い!」

これは博多華丸大吉さんの漫才ネタフレーズですが、ウチには小学校5年生と2年生、2人の息子がおりまして、習い事のない日は学校のお友達が蔵へ沢山遊びに来てくれてワーワーやっております。

毎週のように顔を合わしているのに、顔を見るたびみんなが驚くほど背が高くなっており、5年生の連中は文字通り破竹の勢いで私の身長を一年で追い越していきそうです。

例に漏れず、ウチの長男を意識してみると当たり前なのですがデカくなっていて、息子のスニーカーやアウターは暗い所で見ると私の持ち物と違いが判らないくらい…。

いつも薫さんから収納問題でご指導を頂いている(汗…)私のコレクションしている服や靴も着てもらえるタイミングがやってきたようです。

趣味が合えばの問題ですが…。


今の子供達を見ていて私の頃と大きく違うのはゲーム実況YouTubeの影響もあり、口達者。
ネットスラングもまるで今まであった言葉のように使い、屁理屈もいうけどしっかり論理的に対抗してくるところが頼もしくもあり、憎たらしくもあります。

私は子供の頃、ほぼゲームをしなかったのですが初代ファミコン8ビット時代と大違い、今のゲームは立体的で複雑で画面見ているだけで目が回り、脳の情報処理能力が全く追いついていかない…。それを7歳の次男までもが華麗に操るのを見て信じられない思いです。

生まれたときにスマホがあるデジタルネイティブ世代(2010年~)というのは、生まれたときに家庭用PC一般化した世代(1995年~)とはひと味違う感覚があります。(もちろん個々の子供に寄っても違いますが)うちに集まる子供達は挨拶も出来、小粋なジョークを絡めた会話をしてきます。 これはゲーム内オンラインでのコミュニケーションも達者な上、しかも現実世界でのコミュニケーションスキルも高いのでは?と思っています。

この世代がお酒を造るような世代になると一体、どんなことが起こるのでしょうか?

私としてはタコツボ化している日本酒のサブジャンルを縦横無尽に渡り歩き、多様性を楽しむ世界のお酒を造って欲しい。
その中で今も昔も流行りも廃りもあまり関係のない白老がやっているスタイルの面白さを引き継いでくれると嬉しいと思います。

 

 


 

その四十三
明治時代の知多酒6
「同盟休醸」のこと

 

前回、兌換制度発布により物価低落、金融の逼迫などで倒産が続出した旨記しました。
酒造業界にとっても影響はすこぶる大きかったのですが、明治16年、知多郡全酒造業者による衝撃的な同盟休醸の決議がなされました。
全国的にも大きなニュースであったため、酒造組合中央会沿革史にも記述があります。


少し長くなりますがそれによると

「波乱曲折、数奇を極め、地下潜行の戦慄場面を展開し明治十五年の『大阪屋会議』の非常手段も、終に當局の翻意を購ひ得ず、依然として轍鮒(てっぷ)の苦しみに喘いだ酒造業者は、社会情勢と経済状態の非境に愈々(いよいよ)衰頗下垂の一途を辿り、終に悲壮な同盟休場決議に出た。しかしてこの最悪の場合に直面するまでには、既に幾多の廃失業者、倒産者の犠牲が相踵いで、死屍累々たる惨状にあったのは勿論のことであった。

・醸造家の誓約
酒税増加の結果になるにや、近頃尾州知多郡の醸造家は左の如き誓約を爲し、其趣きを東京酒問屋大行司に通知したりと、 倍御壮栄奉賀候陳は御熟知の通り本年は酒価非常の下落を来し是より先き現今の如き商況にては迚も(とても)引続き醸造の見込み無之に付数度協議の末別之通誓約致し候不取敢席中より御通知に及ひ候也  

明治十六年九月二日 知多郡亀崎港にて
知多郡全群酒造者 会議委員中
東京酒問屋大行事 月番 鹿島利右衛門殿    

<清酒醸造営業者中申合誓約>
當明治十五年度醸造清酒価格の儀、漸次低落し殆ど底止する所を知らず、然る所以は第一醸造石高の大きと第二金融閉塞と加ふるに税金上納期節全国同時に付酒価半価なるにも不拘一時競売し以って金策するの外途なく、終に方今の商況に至る猶此上等閉経過せは、十六年度の醸造も識らず知らず相応の造石を為すに至り、到底本年度の困難にまた一層の困難を増し遂に醸造家は弊れて止むの場合に至るは喋々辨論を不待果たして然らば目下酒価の回復を計画するはもっとも注目せざるを得ず因りて今般同業者申し合わせ誓て約束すること左の如し

第一條 明治十六年度は同業者誓て休醸すべし
第二條 第一条の制約により税金皆納の上は速に御鑑札返納すべし


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現代語訳
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波乱に満ち、数奇な出来事、水面下での緊張感ある場面が繰り広げられ、明治15年の『大阪屋会議』における非常手段も、結局は当局の態度転換を得られず、醸造業者は依然として苦境に喘いでいました。
社会情勢と経済状態の悪化により、衰退が不可避となり、最終的に悲壮な同盟休醸の決議に至りました。
この最悪の状況に直面する前に、既に多くの廃業、失業や倒産の犠牲が相次ぐ惨状であったのは言うまでもありません。

・醸造家の宣言
酒税の増加がもたらす結果に対応して、最近、尾州知多郡の醸造家たちは以下の宣言を行い、その趣旨を東京酒問屋大行司に通知しました。

倍ご栄誉を祝い申し上げます。
ご承知の通り、今年は酒価が非常に下落しており、現在の商況においてはますます醸造の見通しが立たない状況が続いています。このような中、醸造家たちは何度も協議の末、以下の宣言を行うことになりました。
明治16年9月2日 知多郡亀崎港にて
  知多郡全群酒造者会議委員

東京酒問屋大行司
月番 鹿島利右衛門殿

<清酒醸造営業者の共同宣言>
明治15年度の醸造清酒価格が漸次低落し、ほぼ底入れをした状態が続いています。
その原因は、
第一に醸造石高の増加と、
第二に金融の閉塞、そして税金の上納期限の短縮が全国的に同時に行われ、酒価が半額になったことなどが挙げられます。
これにより金策の手段も限られ、現在の商況に至っています。その上、16年度の醸造も予測できず、相応の造石を作ることも難しい状況です。
今年度の困難にさらに困難が加わり、醸造家たちは途方に暮れています。
このような中、酒価の回復を計画することが注目されていますが、それには同業者が協力し合い、誓約することが不可欠であるという認識から、以下のような宣言が行われることになりました。

第一条 明治16年度は同業者が協力して醸造を休むべきである。
第二条 第一条に従って税金を全納した上で、速やかに鑑札を返納するべきである。

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(第五条までありますが以下略)

このように酒造家をして同盟休醸という非常手段に訴えざるを得なかった極めて厳しい状況の中、知多の酒造業は大きく後退することとなりました。

 

 

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