白老酒季127号
□薫風 〜社長便り〜
□HIDE AWAY 〜酒蔵お婿さん通信〜
□会長だより
復興への努力 品質改良其の2 交詢社の続き

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Vol.52「酒蔵開放、たくさんのご来場ありがとうございました」
春の気配も花粉も感じる日が増えてきました。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
本来ならもう少し早い時期にお届けするお便りですが、今号は紙面の形を変更したため、例年より少し遅いご案内となりました。
ちょうど春本番でしょうか。
さて、先月開催いたしました「第37回 酒蔵開放」には、今年も2日間で4,100名ものお客様にお越しいただきました。
昨年と同じ人数のご来場となりましたが、今年は立ち飲みカウンターを設けたことで通路にゆとりが生まれ、混雑も少し和らいだように感じています。
また、麹熟成の生ハムや粕汁ブースなど新しい出店も加わり、例年以上に賑わいのある会となりました。
お越しいただいた皆さま、お手伝いくださった皆さまに心より御礼申し上げます。
春の新酒も続々と登場しています。
毎年人気の「千本錦 純米吟醸 しぼりたて生酒」「夢吟香 純米吟醸しぼりたて生酒」が発売中です。
さらに4月には、自然栽培米を使用した「自然栽培米の酒 無濾過生原酒」、常滑産若水の一度火入れ「白老原酒」も発売予定です。
酒粕や麹、塩麹も販売しておりますので、ぜひ日々の食卓でもお楽しみください。
なお今号より、紙面をA4サイズのDM形式に変更いたしました。
ご案内の情報はQRコードやオンラインショップを中心にご覧いただく形になりますが、これまで通りお電話やFAXでのご注文も承っております。
お気軽にお問い合わせください。
今年も梅酒づくりに向けて「梅のヘタ取りボランティア」を募集いたします。
作業は平日中心ですが、作業中は黙々と、休憩中は和気あいあいとした雰囲気です。
裏面QRコードより募集要項をご覧いただけますので、ご興味のある方はぜひご参加ください。
春の訪れとともに、今年の新酒を皆さまにお届けできることを嬉しく思います。季節のお酒で、どうぞ乾杯ください。
最後に少し告知をさせてください。
5月に創業180年のプレ企画として「下り酒と木桶」をテーマにしたイベントを開催いたします。
大甑のタガを取り替える職人技を目の前でご覧いただけます。知多酒の歴史と木桶醸造文化を見つめ直す2日間となりますので、ぜひお見逃しなく。
2026年3月吉日
澤田酒造株式会社 澤田 薫

2日間たくさんのご来場ありがとうございました!

Vol.71「祖父の思い出と剣菱」
神戸市灘区、JR神戸線(当時は東海道本線)の小さな木造駅舎だった摂津本山駅。
その駅前に住む祖父母の家へ行くことが、子どもの頃の私にとって何よりの楽しみでした。
鉄道が好きだった私は、普段暮らしていた姫路では見られない電車に胸を躍らせながら乗り、祖父母の家から目の前に見える東海道本線を走る電車、列車、貨物列車を、飽きることなく眺めていました。
その当時、京阪神間を走っていた普通電車の青色(国鉄青22号)は、今でも私が一番好きな色です。
また、祖父が私を喜ばせようと、少し離れた阪急岡本駅まで連れて行ってくれ、阪急電車に乗って三宮や元町へ出かけました。
深みのあるワインレッドの車体、いわゆる「阪急マルーン」も、青22号と同じように今でも大好きな色。
当時の摂津本山は住宅街でありながら学生の街でもあり、おしゃれできれいな街で1980年頃にはまだ珍しかったケンタッキー・フライド・チキンもありました。
ロシア風製菓店パルナスの「パルピロ(ピロシキ)」も、今でも忘れられない思い出の味です。
神戸、そして灘は、今でも私にとって大切な思い出の街です。
ただ、祖父母が住んでいたあの家は、阪神・淡路大震災で倒壊し、今はもう残っていません。
祖父は一年中、地元灘の銘酒「剣菱」を晩酌で飲んでいました。しかも燗酒で。
あの剣菱のロゴ、そして燗酒の香りは、私の心の原風景として深く刻まれています。
そんな思い出の日本酒、剣菱酒造の白樫社長をお招きして、このたびイベントを開催することになりました。
「いつか剣菱さんとご一緒に何かできたら」——そう考え始めてから、気がつけば10年近く。漠然と胸の中にあった構想が、ようやく形になります。
2026年5月30日(土)・31日(日)、江戸時代の酒の流通「下り酒」と、木桶文化の継承をテーマにしたイベントを開催いたします。
万障お繰り合わせのうえ、ご来場いただけましたら幸いです。
その五十三
明治時代の知多酒16 「復興への努力 品質改良其の2 交詢社の続き」
今回から白老酒季の「会長便り」掲載方法が変わりましたので、歴史に関しても少し詳しく書けるようになりました。ますます読みにくくなったというお声が聞こえてくるような気もしますが。
明治25年宇都宮三郎は「従来の酛に醪を代用して清酒もしくは濁酒を醸造する方法を成功させて特許を得、新法の普及のために交詢社から『醸造新法』を出版した。半田市誌504頁~505頁を引用させて頂き、この新醸造法を見てみたい。
此発明ハ従来ノ酛ニ醪ヲ代用シテ清酒若クハ濁酒ヲ醸造スル方法ニ係リ其目的トスル處ハ醸造ノ費用ト手数ヲ節減シ以テ品位佳良ニシテ腐敗ノ患ヒナキモノヲ容易ニ醸造セントスルニ在リ 従来醸造スル處ノ清酒ニ品位ノ良否アルハ(中略)ソノ最モ主ナル原因ハ初メ製スル處ノ酛ノ良否如何ニ依ルモノナルカ故ニ酛ノ製造ハ酒造家ノ大ニ苦心スル處ナレトモ其醸造中種々ノ有害ナル黴菌ノ発生スルヲ防禦スルコト能ハサルヲ以テ腐敗ノ患ヒナクシテ品位佳良ナル酒ヲ醸造スルハ実ニ至難ノ業トセリ(中略)(酛の製造は)其手数ト費用ト要スルコト実ニ大ナリト云フヘシ
本発明方法ハ即チ右ノ欠点ヲ防ク為メ醸造中従来ノ如ク酛ヲ用ヒス之ニ代ユル醪ヲ以テスルモノニシテ而テ之ヲ施行スル手続ハ酛ニ醪ヲ代用スルノ外ハ普通ノ醸造法ト差異アルコトナシ又蒸米醪及ヒ水ノ割合ハ時ト場合ニヨリ多少ノ差ハアルヘケレトモ左記ヲ以テ適当トス
蒸米 七石五斗
麹 二石五斗
醪 二石
水 十石
時トシテハ醪ヨリ液体ヲ分離シ其残留物ニ分離シタル液量ニ相当スル水ヲ加ヘ之ヲ醪ニ代用スルコトアリ此場合ニ於テハ前記醪ノ分量ヨリ少シク多量ナルヲ要ス而シテ玆ニ最モ肝要ナルハ必ス熟成シタル醪ヲ用フルニアリ熟成シタル醪トハ泡醸停止シテ醪中ニ繫殖セル発酵母ノ浮性ヨリ沈性ニ変シ未タ酸酵ヲ始メサル時ノモノヲ云フモノニシテ若シ其発酵ニ過不足アルトキハ・・・品性佳良ニシテ酒精分ニ冨ミ而シテ腐敗ノ患ヒナキモノヲ醸造スルコト能ハサルナリ醪ヲ製造スルニ最初一回ハ固ヨリ従来ノ酛一個ヲ用フルモノナレハ醪モ亦多少ノ有害物ヲ含有スルト雖モ次回ヨリハ其醪ノ一部ヲ取リコレニ蒸米麹ヲ加ヘ更ニ醪ヲ醸造スルカ故ニ有害物ヲ含有スルコト愈少ナク・・・有害物ヲ含有セサル醪ヲ醸造シ得ルヲ以テ従ヒテ醸成シタルモノニ比スレハ遙カニ佳良ニシテ且ツ腐敗スルノ患ナシトス
前記ノ外尚ホ本願ノ従来ノ方法ニ比シテ有益ナル点ヲ挙ケンニ元来酛ハ醸酒ニ有害ナルモノヲ含有スルコト多キカ故ニ醸造中可成其少量ヲ用フルヲ好シトス然ドモ少量ナレハ発酵ノ力微弱ニ用ヒンカ前述ノ恐少シト雖モ有害物ノ為メ醸成スル處ノ清酒ノ香味ニ害ヲ及スコト甚シ然ルニ本発明方法ノ如ク熟成シタル醪ヲ用フルトキハ有害物ヲ含有スルコトナキカ故ニ其多量ヲ用フルモ醸成シタル酒ノ品位香味ニ害ヲ及スコトナクシテ而テ発酵ノ力ハ充分強烈ナルヲ以テ之ヲ腐敗セシムルノ患ヒナシ
東京府東京市芝区高輪南町五十二番地
発明者 宇都宮三郎
この発明は、従来の「酛(もと)」の代わりに「醪(もろみ)」を用いて清酒や濁酒を醸造する方法である。目的は、醸造にかかる費用と手間を減らしながら、品質が良く腐敗の心配のない酒を容易に造ることにある。
従来の清酒は品質にばらつきがあったが、その最大の原因は最初に仕込む酛の出来不出来にあった。酒造家は酛造りに大変な苦心を重ねていたものの、仕込みの過程で有害な黴菌の発生を完全に防ぐことは難しく、腐敗の心配がなく品質の良い酒を造ることは実に困難であった。また酛造りには多くの手間と費用がかかっていた。
そこで本発明では、こうした欠点を防ぐため、従来のように酛を用いず、その代わりに醪を使用する。手順は酛を醪に置き換える以外は通常の醸造法と変わらない。蒸米・麹・醪・水の割合は状況により多少異なるが、おおよそ次の通りとする。
(配合割合 略)
場合によっては、醪から液体を分離し、その残りに分離した分と同量の水を加えて代用することもある。その際は通常よりやや多めの醪が必要となる。
ここで最も重要なのは、必ず「熟成した醪」を用いることである。熟成した醪とは、発泡が止まり、醪中の酵母が浮遊性から沈降性へと変わり、まだ酸敗を起こしていない状態のものを指す。発酵の程度が過不足であれば、品質が良くアルコール分の高い、腐敗のない酒を造ることはできない。
最初の一回は従来通り酛を用いるため、醪にも多少の有害物が含まれるが、二回目以降はその醪の一部を使って次の醪を仕込むため、有害物は次第に減少していく。その結果、有害物を含まない醪を造ることができ、従来法に比べてはるかに品質が良く、腐敗の心配のない酒を醸造できる。
さらに本発明の利点として、従来の酛は有害物を多く含むことがあるため、使用量はできるだけ少ない方が望ましかった。しかし少量では発酵力が弱まり、腐敗の危険があった。これに対し、本発明のように熟成した醪を用いれば、有害物を含まず、たとえ多量に用いても香味を損なうことがなく、発酵力も十分に強いため、腐敗の恐れがない。
東京府東京市芝区高輪南町五十二番地
発明者 宇都宮三郎
つまり、「従来法では酒造米十石毎に一個の酛を使用するが、この製造中に種々の有害な黴菌が発生し、醸酒の品位に悪影響を及ぼす。酛の使用量を抑えれば発酵力が微弱で腐敗する恐れがあった。
新法は初回のみ従来の酛を使用し、次回以降はその醪の一部を取り、これに蒸米、麹を加えて醪を醸造する連醸法(注 白老酒季のこれからの記述に、この言葉は重要なキーワードとなっていきます)と称されたもので、有害物の発生を避けて品位佳良な清酒を醸造すると同時に、費用と手数を節減しようとするものであった。」(資料 同、なお、特許法の全文は資料編46~50頁参照)とあります。
当時は山廃などはなく、もちろん速醸法などは影も形もない、生酛一本の世界でした。
文中にある「製造中に種々の有害な黴菌が発生し」というのは聞き捨てならない表現ですが、私にはよく意味が分かりません。
生酛というのは、江戸時代から続く高度な技術の酵母増殖法ですが、簡単にいうと最初から酵母を培養しようとすると他の雑菌のほうが強くて酵母が繁殖しなかったり、滅ぼされたりします。
そこで雑菌を淘汰するために、まず硝酸還元菌を仕込み水中に繁殖させて亜硝酸を出します。
その結果多くの雑菌は死滅しますが、更に蒸米、麹を加えた物量に乳酸菌を加えて乳酸を出す、この乳酸とは生物学的に大変強い酸なので酵母の邪魔をする菌を全滅させることができます。そして最後に、酵母菌だけは乳酸をものともせず、純粋な酵母だけを大量に繁殖することができるわけです。
通常は途中で亜硝酸は消滅するのですが、もし少しでも残っていると酵母が死滅してしまいます。〝有害〟とはそのことを言っているのかもしれませんが、酛(酒母)に詳しい方にぜひ教えてほしいと思っています。
また、宇都宮三郎に関しては豊田在住の方で宇都宮の研究をされている方がおられるそうです。直接面識がありませんが、一度お話を伺ってみたいと思っています。
話がそれましたが、伊東家は26年2月、新醸法による清酒を「全勝」と命名し華々しく発売しました。
同年国内は福島少佐(階級当時)のシベリア騎馬旅行に沸き返った年であったが、早速この〝新醸〟を同中佐に贈っている。(酒造組合中央会沿革史第1編206頁~207頁)
翌27年、日清戦争が勃発したが、出征軍団の祝賀会においてこの「全勝」という名が喜ばれ。徳川侯爵の寄贈品にも採用されたといいます。
これに刺激を受け、豊醸組全体に品質向上のための機運がわき起こります。
明治28年6月の役員及び委員会では「清酒醸造方法ヲ新ニ発明シ又ハ海外ニ新販路ヲ開キタル事件ニシテ本組全体ニ利益ヲ与ヘタル効績顕著ナル者ヘ対シ本組ノ議決ヲ以テ金品又ハ名誉賞ヲ贈呈スル件(清酒の新しい醸造法を開発したり、海外に新たな市場を切り拓くなどして、組合全体に顕著な利益をもたらした者には、組合の決議により賞金や名誉賞を授与する。)」が全員一致で可決されました。
また話がそれますが日清戦争勃発当時、イギリスは清国にある自国の権益を守るために、列国に連合干渉を提議したが、次第に清国を見限り日本を支持するようになって、のちの三国干渉にも参加しなかった。
昔も今も国際関係はドライなものがありますね。
話を戻すと、知多酒の品質向上の動きはさらに大きなムーブメントとなって、いろいろな事業が具体化していきます。博覧会や共進会への参加、人材育成のための「知多実業学校」の開校など重要な事業が少なくないです。その中でも特にのちに全国の造り酒屋に影響を与えた「清酒醸造研究所」の設置が望まれるようになっていく。(続く)
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