白老酒季122号
□薫風 〜社長便り〜
□HIDE AWAY 〜酒蔵お婿さん通信〜
□会長だより
「明治時代の知多酒11 全国酒屋大会名古屋大会直前の大事件 大津事件にふれて」
Vol.47「第36回酒蔵開放へのご来場ありがとうございました」
春の訪れを感じる日が増えてきました。
今年もお酒造りを無事に終えることができ、ほっとしております。
地元知多市の佐布里池では梅が見頃を迎え、梅まつりも大変賑わっていたようです。
今年の梅が豊作であることを願いながら、酒蔵の庭にも春の気配を感じています。
さて、先月開催いたしました「第36回 酒蔵開放」には、2日間で4,100名ものお客様にご来場いただきました。
例年以上の賑わいとなり、大変混雑しご不便をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます。
一方で、新たな出店者として加わった篠島の牡蠣生産者さんのブースや、地元のフレンチ、パン、コラボスイーツなどが大変ご好評をいただき、従来の出店者様と共に多くのお客様に楽しんでいただけたことを嬉しく思います。
また、今年はメディアにも多数取り上げていただきました。
中京テレビの朝の生中継では、酒蔵の魅力を多くの方に知っていただく機会となりました。また、中部国際空港の開港20周年にあたり、地元の醸造蔵としてご紹介いただく機会もあり、想定以上の露出となった月でした。
今月は、春の新酒が続々と登場します。「千本錦純米吟醸 しぼりたて生酒」と「夢吟香純米吟醸 しぼりたて生酒」が発売中です。
さらに、4月には、栽培期間中に農薬や肥料を使わずに育てられたお米を使用した「自然栽培米の酒 無濾過生原酒」も登場予定です。
酒粕や麹・塩麹も販売しておりますので、ぜひご利用ください。
最後に、今年も梅のヘタ取りボランティアを募集いたします。
作業は平日が中心となりますが、お時間のある方はぜひご協力ください。
作業中は黙々と、休憩中は和気あいあいとした雰囲気で進められます。
一緒に、日本一を目指す梅酒づくりに参加してみませんか?
春の訪れとともに、皆様に美味しいお酒をお届けできることを嬉しく思います。
季節のお酒でぜひ乾杯くださいね。
2025年3月吉日
澤田酒造株式会社 澤田 薫
Vol.66「木桶職人復活プロジェクトに参加してきました」
今年1月下旬の4日間、香川県小豆島で開催された研修に参加してきました。
それは、ヤマロク醤油さんが主催する『木桶職人復活プロジェクト』のイベント。
通常、酒造りの繁忙期で参加が難しい時期ですが、今年は蔵人達に無理を言って急遽参加を決めました。
当初は「桶作りを間近で見られればいいな」くらいの軽い気持ちだったのですが、ありがたいことに、期間中は木桶職人チームの一員としてフルで作業に従事させていただきました。
朝7時から日が暮れるまで、ハンマーを手に、足場の上での作業。木桶作りは、職人全員が声を出し合い、タイミングを合わせて進める場面が多く、他の人の動きや空気感を素早く感じ取って次の行動に備える必要があり、それはまるで団体競技。自然と身が引き締まる思いでした。
二日目には、職人の皆さんが見学だけでなく、私が作業を学び取ろうとしている姿勢に気づいてくださり、丁寧に指導してくださいました。
非常にタフな仕事ではありますが、ものづくりが好きな私にとって、この疲労感は心地よいものでした。
一日の作業を終えて宿舎に戻ると、疲れて倒れ込むように眠り、翌朝また全力で取り組む。そんな生活も新鮮で印象的でした。
そこで感じたのは、自然の素材を使うことの難しさと楽しさです。
サイズを測って切って組み合わせるだけでは完成しない木製品の奥深さや手強さを、身をもって実感しました。白老では木製品を多用しているため、自分たちで補修する技術が欠かせないので早く技術を習得するという目標ができました。
来年もぜひ参加できればいいなと思っています。
その四十八
明治時代の知多酒11 「全国酒屋大会名古屋大会直前の大事件 大津事件にふれて」
全国酒屋大会名古屋大会について記載中ですが、決議事項だけ並べるのも能がないし、もう少し詳しく経過を書きたいものの、それではいつ終わるともしれないので、迷いついでに今回は当時起こった大事件について記します。
名古屋会議の直前の明治24年5月11日、来日中のロシア皇太子が大津市を巡覧中、警護の巡査に切りつけられる事件が発生、
「當時の国際情勢から視て、世界最大の強国と新進途上にある我が国との国力の相違は餘りにも明瞭なる事実であり、朝野愕然として色を喪った」(酒造組合中央会沿革史)
「当時の国際情勢から見ても、世界最大の強国と発展途上にある我が国との国力の差はあまりにも明白な事実であり、政府も国民も驚愕し、顔色を失った。」
のであった。 天皇自ら謝罪に訪れただけではなく全国から見舞いの行動が起こされる中、醸造雑誌62号によれば「露国皇太子殿下御遭難を慰問す(内務省檢閲済)」と題し
「…、特に使いを致して御慰問の誠情を呈したるは摂津灘、尾州知多郡の酒造家にてありしが、…豊醸組にては此警報に接するや、本業においても同殿下に対し奉り慰問状を奉呈することこそ本分なれと、直に組合員を招集して会議を開き、満場一致の同意を以て其の十五日該組合頭取天埜伊左衛門氏外組員一同より総代者をして神戸に発しめ、同国全権公使に下に捧呈したりその慰問場は左の如し
謹白 魯西亞大帝國日本駐剳全権公使閣下 貴國皇太子殿下
今次我國ニ来遊セラレ我等日本人民欣思敬仰シテ玉跡ノ封土ニ周カランコトヲ希而シテ我等日本人民ノ禮過未ダ盡サザルニ圖ラザリキ無状ノ者畏レ多クモ玉體ヲ汚シ奉リシコト我等深ク恐戄慙覵(?)ニ堪ヘス玆ニ謹テ○容ヲ候ヒ奉ル 殿下 ○容早ク常ニ複シ給ヒ我等日本人民卑野ノ禮ヲ受容セラルルニ至ラハ我等人民ノ慶幸之レニ過ス玆ニ田中専美藏ヲシテ伏シテ捧シム請フ執奉アランコトヲ誠恐頓首
明治十五年五月十五日
愛知縣知多郡酒造組合豊醸組頭取天埜伊左衛門 組合一同
露國特命全権大使シェーピッツ閣下
と述べている。
…豊醸組では、この報に接すると、本業においても皇太子殿下に対し慰問状を奉呈することこそ本分であるとして、直ちに組合員を招集し会議を開いた。その結果、満場一致で同意が得られ、15日には組合頭取の天埜伊左衛門氏をはじめとする組合員代表が神戸へ赴き、ロシア帝国の日本駐在全権公使に慰問状を捧呈した。
その慰問状の冒頭は以下の通りである。
謹白 ロシア帝国日本駐在全権公使閣下 貴国皇太子殿下
… 今回、貴国の皇太子殿下が日本にご訪問され、私たち日本国民は大いに喜び、敬意をもってお迎えし、その御足跡を国中に広めたいと願っておりました。
しかし、私たち日本国民の礼儀がまだ十分に尽くされないうちに、思いもよらぬ不届き者が、畏れ多くも殿下の尊いお身体を傷つけるという痛ましい事件を起こしてしまいました。
私たちは深く恐れ、慚愧に堪えません。
ここに謹んでお詫びを申し上げます。
殿下が一日も早く平癒され、私たち日本国民のささやかな礼をお受けいただける日が訪れることを心より願っております。
この思いを込め、田中専美蔵を使者として、伏してこの書状を捧げます。どうかお受け取りくださいますよう、お願い申し上げます。
明治十五年五月十五日
愛知県知多郡酒造組合 豊醸組 頭取 天埜伊左衛門 組合一同
ロシア帝国 特命全権大使 シェーピッツ閣下
名古屋大会の招集状を全国に発した(5月5日)直後のことだっただけに大会準備委員の心配は一方ならぬものがあり、国内の一切の行事は絶望視されたものの、日本あげての努力によって無事皇太子は19日神戸の港から帰国した。
なお、この皇太子の治療に当たった御典医が私の母方の親戚にあたり、ロシア皇帝から感謝の勲章を頂いたと子供の頃に聞かされました。
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明治時代の知多酒10 「第二回全国酒屋大会名古屋大会その2」
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